1974-09-10 第73回国会 衆議院 商工委員会 第2号
いわんや繊維のよりが何回転あるなどということをかみ分ける、そういう能吏が、工大の紡織色染の教授ならばいざ知らず、一目見てそれがわかるなんという通関の役人が世界じゅうどこにおりますか。だからそれは除外しましたと言ったら、全部除外しなければならぬ。通関の官吏の能力が足りないから、それでこうしましたといったら、能力が足らぬ者ばかりじゃないか。私はわかるのですよ。
いわんや繊維のよりが何回転あるなどということをかみ分ける、そういう能吏が、工大の紡織色染の教授ならばいざ知らず、一目見てそれがわかるなんという通関の役人が世界じゅうどこにおりますか。だからそれは除外しましたと言ったら、全部除外しなければならぬ。通関の官吏の能力が足りないから、それでこうしましたといったら、能力が足らぬ者ばかりじゃないか。私はわかるのですよ。
○政府委員(木田宏君) 先般来お答え申し上げておりますように、高等学校教育につきましては、工業の教科の中で情報技術、色染化学、繊維工学、インテリア、建築、土木を当面の領域として考えております。 商業の教科につきましては、事務機械、計算実務、情報処理等の領域を考えます。 また、保健体育の教科につきましては、柔道、剣道を考えておきたいと思います。
しかし、なお、そうした措置を講じながら、土木建築の領域だとか、新しい領域として考えられます情報あるいはインテリア、色染化学、こういった部面につきましては、適任の教師を採用しがたいというようなことがございますので、これは他の職域に進まれた人でありましても、あるいはまた大学に学ばないで実務上の高い経験と教育に対する識見を持っておる人がありましたならば、こういう人も迎え入れるようにしたいと、こういう趣意でございます
また、情報技術とかあるいは色染化学、繊維工学、インテリア等の新しい諸領域につきましては、これまた、今日の大学におきます養成そのものも必ずしも十分に教員の養成課程としては整っておりませんので、一般の情報技術の関係者の教育も今後拡充しなければならぬという課題でございますし、繊維工学、インテリア等は社会のいろんな方面に引っぱりだこというようなかっこうでございますから、結果的には高等学校の先生に回ってきてくれる
○松永忠二君 あなた、えらく先端的、先端的と言っているが、色染化学I、色染化学II、色染化学IIIというのは、現在の教育課程にあるでしょう。インテリア実習とインテリア設計製図とあるでしょう。建築だ土木だなんというのはもちろんあるでしょう。その領域をいわゆる教科の領域として認定試験あるんでしょう。何も先端だから困るというわけではない。
工業につきましてはインテリアとか繊維工学、色染等につきまして、また情報技術につきましても同様でございますが、取り入れていく必要があるであろうというふうに考えております。
ところが、最近私は当委員会において当局の見解をただした中で、多様化のはしりといいましょうか、あらわれとして、衛生看護科というようなものが出てきたというお話がありましたし、なお、今後複雑多岐な職業教育課程において学科が予想されるというように聞いておるわけでありますけれども、たとえば工業に関する学科は、現在の基準によりますれば、機械科、造船科、電気科、電気通信科、工業化学科、紡織科、色染科、土木科、建築科
それから採炭夫が二百十八人、店員が二百十六人、機械の雑工が二百七人、荷扱い手が百七十六人、ほかに色染だとか製本だとか——製本といってもこれは本屋の荷づくり専門、それから練炭製造、それから静岡や暖かい地方におけるミカンつくりの農夫だとかそれから製めん、二十何種類に分かれている、こういう状況であります。
洛陽高等学校は、普通課程と工業課程との併設校でありますが、そもそもは遠く明治十九年に京都染工講習所として濫膓し、色染と紡織の二科をその大宗とするものでありまして、本年創立七十五周年を迎えております。
群馬県におきましては、国立の群馬大学に工業短期大学がありますが、夜間のものでありまして、それは御承知の通り桐生市にありますが、紡織科と色染科の二科を持っております。各科の入学定員は三十名でありまするが、就職率はきわめて高く、本年度卒業予定者もすでに売り切れというような好成績であります。
それから工業化学、精密工学、色染というのは色です。色染化学、地学、電気工学、工業化学、合成化学、冶金、木材工業、工業化学といったようなものを各国立学校に割り振りまして、一つの科目——科といたします。さような傾向で、ひとり大学のみならず、高等学校においても理科教育、産業教育の振興をいたしたい。
かくて本校は当初色染、機織、図案の三科をもつて開始したのであるが、昭和四年陶磁器科を加えて四科となり、爾來京都の工藝界のみならず、日本工藝界に寄與してきたのである。